中国ワイン産地|中国ワインの原点、風の盆地で熟す —— 北京から約1.5時間、懐来(Huailai)ワイン産地訪問記

はじめに

1970年代、中国で最初の国際基準の辛口白ワインが生まれた土地をご存じでしょうか?

よく耳にするのは寧夏、新疆、山東などの中国ワイン産地です。しかし、その近代中国ワイン産業の重要な源流の一つが、北京の西北、万里の長城(八達嶺)を越えた先に広がる、河北省懐来県にあることはあまり知られていないかもしれません。

北緯40度付近に位置する懐来は、山々に囲まれた盆地を強い風が吹き抜けることから、独特の気候環境を持つワイン産地です。そして何より、中国の在来品種「龍眼」を使ったワイン造りと、1970年代に中国の辛口ワイン造りを大きく前進させた歴史を持っています。

2026年4月、私はこの懐来産地を訪問し、懐谷ワイナリー、迦南ワイナリー、馬丁ワイナリーの3つのワイナリーを訪ねました。生産者の方々から、それぞれのワイン造りや産地について直接お話を伺うことができました。

本稿では、今回の訪問で得た情報と私自身の現地での体験をもとに、懐来という産地の歴史、風土、そして現在のワイン造りについてご紹介します。

ワイン産地としてのヒストリー —— 1200年の葡萄の歴史と「中国一」の系譜

懐来のブドウ栽培には、1200年の歴史があると言われています。明清時代には、この地域で栽培された龍眼ブドウが宮廷への貢物となったという記録も伝えられており、懐来は古くから中国北部を代表するブドウ産地の一つでした。

現在の懐来を語るうえで欠かせないのが、この土地を代表する在来品種「龍眼」です。龍眼は古くから中国北部で栽培されてきた品種で、懐来では現在もその伝統が受け継がれています。

そして、懐来の歴史を語るうえで特に重要なのが、1970年代です。

1973年、中国では全国のワイン産地を対象とした調査が行われ、その中で懐来の桑干河流域は、中国におけるワイン研究・生産の重要な地域として注目されました。そして1979年、龍眼を原料とした中国初の国際基準の辛口白ワインが懐来で誕生します。

つまり懐来は、単に「古くからブドウを栽培してきた土地」というだけではありません。

中国のワインが国際的な基準を意識した辛口ワインを発展させていく過程において、重要な役割を果たした産地なのです。

日本との意外なつながり

今回、懐谷ワイナリーでワイン教育を担当されている方から、もう一つ興味深い話を伺いました。

1940年代、日本人が懐来県にある沙城という地域でワインの醸造工場を設立したというのです。これは上述した中国初辛口白ワインの開発に関わった郭其昌氏の著書に記載されていると明言されていました。

また、1980年代には日中間のワイン技術交流が始まり、日本のワイン専門家がこの地域を訪れ、懐来の龍眼ブドウの糖度や酸度の高さを評価したという話も伺いました。

これらは、私自身が現時点で一次資料まで確認できている情報ではありません。そのため、ここでは歴史的事実としてではなく、今回の訪問で現地の方から伺った話として記録しておきたいと思います。

その後、懐来は中国を代表するワイン産地へと発展していきました。

現在もこの地には中国長城葡萄酒をはじめとする大規模なワイン企業や生産者が集まり、長城ブランドのワインは国宴用ワインとしても知られています。懐来は、中国のワイン産業の歴史を語るうえで欠かすことのできない土地なのです。

立地の特徴 —— 北京に近い「両山挟一湖」の盆地

懐来は北京市の西北に位置し、北京から車で約1時間半。万里の長城(八達嶺)を越えてさらに西北へ進んだところにあります。

また、懐来駅・下花園北駅などの高速鉄道駅からワイナリーまでも比較的近く、北京からのアクセスの良さは、この産地の大きな特徴の一つです。

懐来の地形を表現する言葉として、現地ワイナリーで何度か耳にしたのが「両山挟一湖」という言葉でした。

北には燕山山脈、南には太行山の余脈が連なり、その間を官庁湖(官庁ダム湖)が横たわっています。

つまり、「二つの山に挟まれた一つの湖」。

この独特の地形が、懐来のブドウ栽培に特徴的な小気候を生み出していると、今回訪問した迦南ワイナリーで伺いました。

官庁ダム湖は北京市にとって重要な水源の一つでもあり、その周辺に広がる懐来のブドウ畑は、山々と湖に囲まれた独特の環境の中にあります。

ワイナリーやブドウ畑の標高は、おおむね500~600m前後。

北緯40度付近という緯度に加え、標高のある盆地、周囲を山に囲まれた地形、そして湖の存在。

こうした複数の要素が重なり合うことで、懐来独自のブドウ栽培環境が形づくられているのです。

官庁ダム湖の様子

気候と土壌 —— 「風」と「寒暖差」がつくる健康なブドウ

懐来のワイン造りを理解するうえで欠かせないのが、この土地特有の厳しい気候です。

一言で表現すれば、温帯大陸性モンスーン気候に属する半乾燥地帯。

少雨で乾燥している一方、冬には厳しい寒さに見舞われ、さらに一年を通して強い風が吹き抜けます。

乾燥した気候と厳しい冬

産地を含む懐涿盆地は、年間降水量が少なく、夏季も比較的乾燥した気候です。一方、冬には気温が-20℃前後まで低下することもあります。

この厳しい冬を乗り越えるため、懐来では現在も「埋土防寒」と呼ばれる伝統的な作業が行われています。

迦南ワイナリーの埋土した葡萄畑
4月訪問時に迦南ワイナリーの葡萄畑はまだ土に埋まっていました

秋に収穫を終えると、ブドウの樹を土で覆い、厳しい冬の低温から樹を守ります。そして翌春、再び土から樹を起こします。

つまり懐来の冬は、ブドウの樹がそのままでは生きていけないほど寒さが厳しいのです。

一方で、近年は気候変動によって積算温度が上昇し、以前に比べてブドウが成熟しやすくなっていると、今回訪問した懐谷ワイナリーで伺いました。

特に以前は不足しがちだった糖度やアルコール度数が上がり、現在はより安定して成熟したブドウを得られるようになってきているとのことです。

大きな昼夜の寒暖差と「酸不降」

懐来のもう一つの特徴が、大きな昼夜の寒暖差です。

日中は比較的暖かく、夜になると急速に気温が下がる。この寒暖差によってブドウが成熟していく一方、酸が失われにくいと、生産者の方々は説明します。

今回、現地で特に印象に残った言葉が、「酸不降」という中国語でした。

文字通りには「酸が下がらない」という意味です。

これが懐来のワインにとって大きな強みになると、生産者の方々は強調していました。

「風の盆地」

そして、懐来を特徴づけるもう一つの要素が「風」です。

内モンゴル方面から吹き込む風が山々に挟まれた盆地を通り抜けるため、懐来では強い風が吹くことで知られています。

現地では、

「一年に二回風が吹き、一回で半年吹き続ける」

という表現まで使われるそうです。

もちろん文字通りの気象現象を表す言葉ではありませんが、それほど懐来では風が産地の重要な特徴として認識されています。

この強い風には、ブドウ栽培上のメリットもあります。

乾燥した空気と風によってブドウ畑の通気性が高まり、湿気がこもりにくくなるため、灰色かび病などの病害が発生しにくいと生産者の方から伺いました。

その結果、農薬の使用量も他の産地と比較して少なく、ボルドー液をほとんど使用しないという説明もありました。

私自身が懐来を訪問したのは4月上旬でしたが、実際に現地を訪れてみると、確かに強い風が吹き抜けていました。「風の盆地」という言葉を実際に体感としても理解できた瞬間でした。

砂礫を含む水はけの良い土壌

土壌については、砂礫や礫石を含む砂質土壌が多く、水はけが非常に良いことが特徴として挙げられます。

乾燥した気候と相まって、畑に水分が過剰に残りにくい環境です。

こうした「乾燥」「寒暖差」「風」「砂礫質土壌」という複数の条件が重なって、懐来独自のブドウ栽培環境が形づくられています。

マーティンワイナリーの褐色砂礫質土壌

品種とワインの特徴 —— 龍眼とマルスラン、「高酸・高アルコール・高タンニン」の三位一体

地域の特徴的白品種、龍眼

懐来を語るうえで欠かせない品種が、中国固有品種の龍眼(Longyan)です。

龍眼は、懐来を代表する白ブドウ品種。高い酸を持つことが特徴で、青リンゴを思わせる爽やかな香りや、熟成によって蜂蜜のようなニュアンスを感じさせるワインもあります。

今回訪問した懐谷ワイナリーでは、この龍眼を使って辛口白ワインだけでなく、甘口のデザートワインも造られていました。

懐来ワイナリーには、樹齢400年を超える龍眼の古木も残されているとのこと。

今回は残念ながら実物を見ることができませんでしたが、次回懐来を訪れる機会があれば、ぜひその姿を自分の目で確かめてみたいと思っています。

赤ワインの主役、マルスラン

一方、赤ワインで存在感を放っているのがマルスランです。

マルスランは、フランスのカベルネ・ソーヴィニヨンとグルナッシュの交配品種として知られていますが、中国では近年、各地で栽培面積を広げている重要な品種の一つです。

懐来でも多くのワイナリーがマルスランを栽培しており、今回訪問したワイナリーでも、看板ワインの一つとして扱われていました。

懐来のマルスランは色調が濃く、豊かな果実味としっかりとしたタンニンを持つものが多く、若いうちは力強さを感じます。

一方で、十分に空気に触れさせることでタンニンの角が取れ、よりきめ細かく滑らかな表情を見せるワインもありました。

私自身、今回の懐来訪問で試飲した赤ワインの中でも、マルスランの存在感は強く印象に残っています。

懐来ワイナリーのフラッグシップマルスラン
懐来ワイナリーのフラッグシップマルスラン

「高酸・高アルコール・高タンニン」

今回、複数のワイナリーを訪問して特に印象的だったのが、懐来のワインについて生産者の方々が繰り返し語っていた、「酸」と「成熟度」の両立です。

懐来は寒暖差が大きく、ブドウが十分に成熟しても酸が残りやすいとされています。

そのため、今回試飲したワインの多くは、比較的高いアルコール度数を持ちながら、酸がワイン全体を支え、アルコールだけが突出して感じられませんでした。

特に赤ワインでは、

高アルコール
+ 高い酸
+ 豊かなタンニン

という三つの要素が共存することが、懐来の赤ワインの一つの特徴として感じられました。

生産者の方からは、糖度と酸のバランスが良いため、補糖や補酸を行わず、ブドウそのものの成分を生かした醸造が可能だという説明も伺いました。

今回訪問したワイナリーでは、「十分に成熟したブドウ」と「高い酸」を両立させることが、懐来のワイン造りにおける重要なテーマになっていると感じました。

高い酸はワインに清涼感と骨格を与えるだけでなく、熟成を支える重要な要素でもあります。

実際に生産者の方々からは、懐来のワインは高い酸を持つため、長期熟成にも適しているという話を何度も伺いました。中には10年以上の熟成ポテンシャルを持つと説明されたワインもあります。

「風が吹き抜ける乾燥した盆地で、ブドウは十分に成熟しながら酸を失わない。」

前のセクションで紹介した懐来の気候と、今回試飲したワインのスタイルを重ね合わせると、この産地の個性が少し見えてくるように思います。

産地訪問のまとめ —— ワイナリーが見せた、懐来の現在形と可能性

今回訪れた3つのワイナリーは、それぞれ異なる「懐来の現在形」を見せてくれました。

懐谷ワイナリーは、伝統を受け継ぎながらも、ワイン造りに常に新しいチャレンジを取り入れ、技術を磨き続けるワイナリー。

迦南ワイナリーは、植樹後10年間、販売を急がず、テロワールをワインにどう表現するかという研究に専念した、独自の哲学を持つワイナリー。

そして馬丁ワイナリーは、イギリスやオーストリアへの輸出に取り組み、ミシュラン星付きホテルにもワインが採用されるなど、海外市場でも評価を得ながら、現在の大型タンク製造から(よりフレキシブルで多様なアレンジができる)小型タンク製造へと進化を続けています。

3つのワイナリーを巡って、私が最も強く感じたのは、「歴史があるのに、新しい」という懐来の二面性でした。

1200年ともいわれるブドウ栽培の歴史を持ち、龍眼という中国固有品種を育ててきた土地。そして1970年代には、中国の近代的な辛口白ワイン造りの先駆けとなった産地です。

その一方で、現在のワイナリーから聞こえてきたのは、伝統を守るという言葉だけではありませんでした。

中国のワイン市場を取り巻く環境が厳しさを増す中でも、今回訪問したワイナリーからは、実験的な精神で新しいワインに挑戦する姿勢、製造技術を磨き続ける姿勢、そして懐来独自のテロワールを追求する姿勢が強く感じられました。

北京から比較的気軽に訪れることができる「風の盆地」。

そこには、龍眼の栽培、辛口白ワインを開発した過去から繋がっている現在のかたちだけでなく、未来の可能性を感じさせてくれる、それが、今回の訪問で感じた河北省懐来産地です。

訪問したワイナリーの記録は以下のリンクにあります。

小規模だから高品質 イギリス・オーストリアで実績を積む馬丁ワイナリー

北京北西部の大地で醸される「職人技のワイン」ーー河北省懐来 懐谷ワイナリー

迦南ワイナリー詩百篇——北京の西北、標高500mの風土が育む中国ワインの最高峰

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Edited By 新井達也
JSA認定 Wine Expert
Vin Euphony代表